THE BADGE
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THE BADGE are …
中村昭二(Vo&G)・田中信明(Vo & B)・川崎哲(Vo & Dr)
ザ・ジャムのオープニング・アクトもつとめた、日本はもとより世界中のパワーポップ/パンク・ファンたちから絶大なるリスペクトを受けているTHE BADGE(ザ・バッヂ)。 1980年代に日本のロックシーンを一気に駈け抜けた博多出身のスリーピース・バンドである。
releases
1977年
3月、田中信昭(Vo & B)、田中一郎(Vo & G)、伊藤薫(Vo & Dr)で活動していたバンド、リンドンが解散。
1977年
3月、田中信昭(Vo & B)、田中一郎(Vo & G)、伊藤薫(Vo & Dr)で活動していたバンド、リンドンが解散。
1978年
春、博多にて田中信昭と中村昭二が出逢う(中村はリンドンのファンだった)。
中村の友人達と「ちょっとした遊びのつもりで」バンドを結成し、夏頃にザ・レインという名前で「照和」に出演(同時期に、後にザ・レインに加入する石田清巳率いる厶ードッグスや、ザ・モッズ、ザ・ロッカーズ(Voの陣内孝則は中村の高校の後輩)らも「照和」でライブを行っていた。
当時のメンバーは中村昭二(Vo & G)、田中信昭(Vo & G)、恵利剛(B)、岡部敏明(Dr)。
1979年
2月、ザ・レイン活動休止。その後、恵利を除いたメンバーで一度限りではあるが、リンドンを名乗り、ライブを行う。
5月、たにハートブレイクバンド結成。
メンバーは中村昭二(Vo & G)、田中信昭(Vo & B)に、中村の高校時代のバンド、シャムロックにも参加したことがある、元スイートワンの川崎哲義(Vo & Dr)を加えた3人編成に。
11月、デモテープを制作(未発表音源Vol.2のM-15は、このテープに収録されていたもの)
1980年
1月、「徒楽夢」にて博多最後のライブを行う。
2月、デモテープを持参し、フェリーで上京。
4月、東京での初ライブを行う。
5月、旧友の石田清巳(Vo & G)が加わり、4人編成に。バンド名を再びザ・レインに改名。
8月、フジテレビの音楽番組「Hot TV」に出演、9月、同番組の決選でスキン(後に佐久間正英のプロデュースでデビュー)を破り、グランプリを獲得。同番組には後にシャムロック(高橋一路、山森正之)なども出演。
1981年
7月、East West、フリーバル'81(フジテレビ主催のコンテスト)出場。
10月、所属事務所が決まる(バースデーソング)。31日、石田清巳脱退。再び3人編成に。
1982年
2月27日、久保講堂にて開催された「JAPAN NEW ROCK FES. Vol.2」に出演。ARBらと共演。
3月、バンド名をザ・バッヂに改名。川崎は「哲義」を「哲」に改める。
6月16日、ザ・ジャムの来日公演でオープニングアクトをつとめる。リハーサル終了後、中村はポール・ウェラーと対談、ポールは「今までにみた日本のバンドで一番よかった」と発言。ジャムのマネージャー(ポールの父、ジョン・ウェラー)からは「イギリスでデビューしろよ!」とまでいわれる。
7月25日、テイチクレコードよりシングル「ふたりのフォトグラフ」でデビュー。
1983年
1月21日、2ndシングル「ウィンクはお手のもの」リリース。関東から名古屋、京都、大阪などでもライブ。
5月21日、新興のリバスターレコードより、第一弾アーティストとして1stアルバム「TOUCH」をリリース。
1984年
所属事務所をカレイドスコープ(ホリプロダクション)に移籍。レコード会社もキングレコードに。
5月、銀座スモーキースタジオにて、断続的ではあるが一カ月に渡りレコーディング(後に12インチマキシシングルとして3枚に分けてリリースされたもの。当初はOne Boyを主人公に、バンド仲間のJhonny、恋人Melodyらが織りなすストーリー性を持った一枚のアルバムとして構想されていた。未発表音源Vol.1のM-13、Vol.2のM-14は、登場人物からも分かる通り、この時期にレコーディング、あるいは作られたもの)。
8月21日、シングル「A列車を飛び降りろ」、12インチマキシシングル「LONDON PARADISE」リリース。
10月5〜6日、サウンドスカイスタジオでレコーディング。
11月18日、渋谷Egg-manから「99CLUB TOUR」スタート。
11月24日、「OH! CAORL」リリース(ニール・セダカのカヴァー)。SEIKO腕時計のCMソングに。
12月5日、12インチマキシシングル「99CLUB」リリース。
1985年
8月21日、12インチマキシシングル「One Boy」リリース。また、この時期から翌年にかけて、「THE BADGE」名義で他アーティストへの楽曲提供も行う(バブルガム・ブラザーズ、伊藤サヤカ、ICHIGOちゃん、ベリーズ、鶴見辰吾など)。
1986年
9月22日、渋谷Egg-manで行われたライブを最後に解散。前身のバンドから数え、約8年にわたる活動の幕を閉じる。その後3人はそれぞれの道へと進む…。
・中村昭二…作曲家として小比類巻かほる、須藤薫、吉川晃司、真田弘之らに曲を提供する一方、CLUBLAND、RINXなどを率いてライブ活動や、プロデュースを行う。92年に帰福して以降も、地元企業のCM曲などを制作。
・川崎 哲…音楽制作の道へ進み、中村あゆみのプロデュース、マネジメントなどをつとめる。現在は音楽の現場から離れ、郷里の宮崎在住。
・リーダーの田中信昭は、1986年に海援隊の千葉和臣らとハートブレイクバンドを再結成、92年まで同バンドで活動し、その後もバンド、ソロで音楽活動を続けるが、病に倒れて秋に帰福、99年5月、帰らぬ人となる……。
2001年
海外でリリースされたパワーポップのオムニバス盤(ブートレグ)に、日本から唯一ザ・バッヂが取り上げられ、ジャケットも飾る。
2002年
3月、MMRecordsより、「ザ・バッヂ未発表音源CD」の制作が発表される。
8月、旧譜の再発署名活動がスタート。同年、中村昭二は音楽活動を再開し、ソロでレコーディングをはじめる。
2003年
3月21日、未発表音源のCDが2枚同時リリース。
11月21日、テイチク時代の音源を集めた「テイチク・シングル・コレクション+7ボーナストラック」をリリース。
2004年
2月21日、リイシューで「ふたりのフォトグラフ」、「ウィンクはお手のも」を同時リリース。ジャケットは当時のものを忠実に再現。7インチアナログでの発売は話題を呼んだ。
4月25日、「TOUCH」リリース(SSレコードより)
9月25日 、「ザ・バッヂ未発表音源CD」の第三弾リリース。
2005年
11月21日、キング・レコード時代の音源を集めた「コンプリート・オブ・キングイヤーズ」リリース。